普門山 観音寺 【篠山市】

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曹洞宗観音寺

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曹洞宗観音寺
曹洞宗について

曹洞宗について

曹洞宗とは

曹洞宗 観音寺

曹洞宗 観音寺

道元禅師(どうげんぜんじ)様が正伝の仏法を中国から日本に
伝え、瑩山禅師(けいざんぜんじ)様が全国に広められ、
曹洞宗の礎を築かれました。
このお二方を両祖と申し上げ、ご本尊・お釈迦さま(釈迦牟尼仏)
とともに一仏両祖(いちぶつりょうそ)として仰ぎます。

曹洞宗の歴史

この道元禅師の精神は、その後をついだ永平寺二代の孤雲懐弉(こうん えじょう)禅師、永平寺三代で加賀(石川県)の大乗寺(だいじょうじ)を開かれた徹通義介(てっつう ぎかい)禅師を経て、その弟子瑩山禅師に受け継がれました。
そして瑩山禅師のもとには、後に能登(石川県)の永光寺(ようこうじ)を継いだ明峰素哲(めいほう そてつ)禅師、總持寺を継いだ峨山韶碩(がさん じょうせき)禅師が出られ、その門下にも多くの優れた人材が輩出して、日本各地に曹洞禅が広まっていったのです。

特に今一つの中国禅宗の流れをくむ臨済宗(りんざいしゅう)が、幕府や貴族階級など、時の権力者の信仰を得たのに対し、曹洞宗は地方の豪族や一般民衆の帰依を受け、もっぱら地方へと教線を伸ばしていきました。

すなわち、鎌倉末期から室町時代にかけては、臨済宗が鎌倉や京都に最高の寺格を有する5ヶ寺を定めて順位をつけた五山十刹(ごさんじっせつ)の制をしき、五山文学を中心とする禅宗文化を大いに発展させましたが、曹洞宗はこうした中央の政治権力との結びつきをさけ、地方の民衆の中にとけこんで、民衆の素朴な悩みにこたえ、地道な布教活動を続けていきました。
しかし、長い歴史の間には宗門にも色々な乱れや変化が起こりました。

江戸時代になると、徳川幕府による「寺檀(じだん)制度」の確立によって、寺院の組織化と統制が加えられる一方、宗学(しゅうがく)の研究を志す月舟宗胡(げっしゅう そうこ)、卍山道白(まんざん どうはく)、面山瑞方(めんざん ずいほう)等の優れた人材が出て、嗣法(しほう)の乱れを正して道元禅師の示された面授嗣法(めんじゅしほう)の精神に帰るべきことを主張した宗統復古(しゅうとうふっこ)の運動や、『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』をはじめとする宗典(しゅうてん)の研究、校訂、出版などが盛んに行われました。

明治維新となり、神道を中心に置こうとする新政府は、神仏を分離して仏教を廃止しようとする廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)を断行し、仏教界に大きな打撃を与えました。
しかし仏教界の各宗もよくこの難局に耐え、曹洞宗には大内青巒居士(おおうち せいらん こじ)が出て『修証義(しゅしょうぎ)』の原型を編纂し、その後總持寺の畔上楳仙(あぜがみ ばいせん)禅師、永平寺の滝谷琢宗(たきや たくしゅう)禅師の校訂を経て宗門(しゅうもん)布教の標準として公布され、在家化導(ざいけけどう)の上に大きな役割を果たしました。

こうしてわが宗門は、今日全国に約1万5千の寺院と、800万の檀信徒を擁する大宗団に発展し、未来にむけて更に前進しようとしています。

※「曹洞禅ネット」より転載

ご存知ですか?お寺と神社の違い

元々日本には、神仏習合(しんぶつしゅうごう)と言う考え方があり、神の信仰(神道[しんとう])と仏教の信仰が1つになった宗教の 考えが奈良時代には始まっていました。

神社:神様を祀っている場所(御神体がある)
お寺:仏様を祀っている場所(ご本尊がある)

「神社は鳥居」というイメージが強いですが、神仏習合の名残で鳥居だけでは見分けることができません。

 
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